「テーブルに置いてあったノートPCに表示された言葉。あれが一番、引っ掛かる」
「言葉って、贖罪と懺悔ですか? 確かに、折笠先生らしくないですけど」
晴翔の指摘通り、言葉そのものでもある。
だが、あのタイミングで表示された事実が、理玖の中で引っ掛かっていた。
「夢中だったからよく覚えていないけど、部屋に入ってすぐは、あのノートPCは開いていたけどスリープか、電源が切れていて画面は暗かったと思うんだ」
仮に最初からあの文字が表示されていたら、目に入ったはずだ。
心肺蘇生のためテーブルを動かした時は気が付かなかった。
「俺がテーブルに肘をぶつけて、その反動でPCが動いて、起動した感じでしたよね」
晴翔が思い出しながら話す。
「あの時は、そう思った。だけど、PCの起動をタイマーや、或いは遠隔にしていたら、どうだろう。PCの文字と、コーヒーカップを持って心停止している折笠先生を見付けたら」
「咄嗟には、服毒自殺だと思っちゃいますね」
晴翔が、ごくりと息を飲んだ。
「あれはスタート画面で、壁紙だ。折笠先生が選ぶとは思えない。別の誰かが設定した可能性がある。もしかしたらPCの中に遺書が残っているのかも。それも偽造の可能性が高いけど」
折笠の研究室は、三日経った今でも警察の現場検証が入っていて、立ち入り禁止だ。証拠品は押収されて、PCの内容までは開示されていない。
「やっぱり、時間《タイマー》かな。僕らは予定より早めに折笠先生の部屋に着いた。あの画面は十四時に表示される設定になっていたのかもね」
PCを確認すれば、タイマー設定の痕跡は残っているかもしれない。
「もしくは発見した振りをして鈴木君が遠隔起動した、と
「僕の推論でしかないけど、多分、鈴木君でもない。利用されただけじゃないかな」 晴翔の顔が険しくなった。「僕は、水曜のあの時、鈴木君に初めて会ったけど。折笠先生を敬愛しているのは充分感じ取れたし、僕らが心肺蘇生をしている時も、怯えて動けなかった」 医療現場に身を置いていたり、慣れていない限り、死んでいるかもしれない人間を前に冷静な行動をとるのは難しい。 晴翔ですら、あの時は理玖の指示に従って動くのがやっとだった。 経験などない文学部の学生である鈴木圭の反応は、むしろ一般的と言える。鈴木にとって折笠の急変は怯えるほどの不測の事態だったのだろう。「その分、折笠先生に近い存在であるのは、確かだ。僕が折笠先生を自殺に見せかけて殺すなら、鈴木君を利用しようと考える」 Dollの狩場であるかくれんぼサークルのサークル長を任せられているくらいだ。 他にもいるであろう折笠の愛人の中で、最も信頼を得ているのが鈴木なんだろう。「鈴木君は純朴で可愛らしい青年だけど、リーダーシップをとれるタイプではなさそうだ。サークル長向きじゃないけど、折笠先生にとっては扱い易い人間だったろうと思う。同じように犯人にとっても利用しやすい人間だった」 晴翔が思い出した顔をした。「Highly Sensitive Person?」 晴翔の問いに、理玖は頷いた。「僕が見た限りでは、鈴木君にもHSPの傾向がありそうだ。だから容易に鈴木君に近付いて取り込めた。本人に抵抗なく洗脳して取り込むなら……、君だけを見てくれる折笠先生にできるよ。とかかな」 晴翔の顔が蒼褪めた。「それって、折笠先生を狙ったのは、RISEってことですか?」&n
「テーブルに置いてあったノートPCに表示された言葉。あれが一番、引っ掛かる」「言葉って、贖罪と懺悔ですか? 確かに、折笠先生らしくないですけど」 晴翔の指摘通り、言葉そのものでもある。 だが、あのタイミングで表示された事実が、理玖の中で引っ掛かっていた。「夢中だったからよく覚えていないけど、部屋に入ってすぐは、あのノートPCは開いていたけどスリープか、電源が切れていて画面は暗かったと思うんだ」 仮に最初からあの文字が表示されていたら、目に入ったはずだ。 心肺蘇生のためテーブルを動かした時は気が付かなかった。「俺がテーブルに肘をぶつけて、その反動でPCが動いて、起動した感じでしたよね」 晴翔が思い出しながら話す。「あの時は、そう思った。だけど、PCの起動をタイマーや、或いは遠隔にしていたら、どうだろう。PCの文字と、コーヒーカップを持って心停止している折笠先生を見付けたら」「咄嗟には、服毒自殺だと思っちゃいますね」 晴翔が、ごくりと息を飲んだ。「あれはスタート画面で、壁紙だ。折笠先生が選ぶとは思えない。別の誰かが設定した可能性がある。もしかしたらPCの中に遺書が残っているのかも。それも偽造の可能性が高いけど」 折笠の研究室は、三日経った今でも警察の現場検証が入っていて、立ち入り禁止だ。証拠品は押収されて、PCの内容までは開示されていない。「やっぱり、時間《タイマー》かな。僕らは予定より早めに折笠先生の部屋に着いた。あの画面は十四時に表示される設定になっていたのかもね」 PCを確認すれば、タイマー設定の痕跡は残っているかもしれない。「もしくは発見した振りをして鈴木君が遠隔起動した、と
病院に救急搬送された折笠は、救急車の中で息を吹き返したらしい。 命は繋いだものの、虚血状態が長く続いたために意識が戻らず昏睡状態が続いている。 特に脳へのダメージは深刻と考えられた。 目を覚ましても、これまで通りの生活を送るのは絶望的、というのが医師の見解だった。「心臓が止まるまで昏睡状態か、覚醒しても自力で動く生活は難しいだろうね」 ぎりぎり繋いだ命だが、長くないだろう。 発見時の理玖たちの初動の速さが功を奏したに過ぎない。「自殺……、それとも、事故なんですかね」 晴翔が、ぽそりと呟いた。 現時点での警察の見解は『自殺未遂』あるいは『不慮の事故』だ。 心停止の原因は、カフェイン中毒だった。 日頃からの常用でカフェインの血中濃度が高い上に、短時間に高濃度のカフェインを摂取したことによる心停止とされた。「いつもブラックコーヒー飲んでいるし、昔からエナジードリンクとか好きだった印象はあるけどね。平均的にコーヒー1杯のカフェイン含有量が60gと考えて、七杯目くらいから過剰摂取だけど。そんなに飲んでたのかな」 日々の蓄積などもあるのだろうが。 コーヒーやエナジードリンクを煽るほど飲んでいるイメージはない。「マムシ的なヤツとか海外の錠剤とか、市販の興奮剤とかも試してるって、本人が冗談めかして話していたから、合計すれば過剰摂取になりそうではあるけどね」 興奮剤には大抵、カフェインが含まれる。 加えて濃い目のコーヒーを摂取すれば、過剰摂取には成り得るが。心臓が止まるほどの摂取を、慎重な折笠がするとも思えない。「興奮剤を間違って多めに飲んじゃったとか? 持っていても不思議じゃないですもんね」 
鈴木が扉を開いて、中に入る。 晴翔と理玖が続いた。入る前に國好と目を合わせる。「扉のすぐ外にいます」 小さく告げて、國好が扉の脇に立った。「折笠先生、向井先生と空咲さんが来てくれました。……折笠先生?」 鈴木の声色が変わった気がして、部屋の中を覗き込む。 先に中に入った晴翔が顔色を変えて駆け込んだ。 晴翔の慌てた様子に気が付いて、理玖も急いで部屋に入る。「折笠、先生……」 鈴木が小さく呟いて立ち尽くす。 折笠がソファに座ったまま、目を閉じている。 背もたれに全身を預けた姿から、脱力しているように見える。 投げ出した手にかろうじてコーヒーカップが引っ掛かっている。 中身が衣服と床に零れていた。「折笠先生! 聞こえますか? 折笠先生!」 晴翔が折笠の肩を揺らして大きな声を掛けた。 指に引っ掛かっていたコーヒーカップが床に転がった。 小さな悲鳴を飲み込んで、鈴木が後ろに下がった。 その肩を押しのけて、理玖は折笠に寄った。 首に触れるが、頸動脈の脈打ちがない。手首の橈骨動脈も触れない。 口元に耳を近づける。 呼吸音も呼気も感じられない。 胸に耳を押し当てるが、心拍が聞こえない。「晴翔君、救急車を呼んで。國好さん、AEDを持ってきてください。折笠先生が心停止しています」 ドアの外で國好が駆けだした気配がした。「心停止って、そんな……」 鈴木がその場
「向井先生、ですよね? すみません。迎えに行こうと思ったんですけど」 小走りに学生が駆け寄ってきた。「鈴木君? どうしたの?」 晴翔が向き直る。 名前から察するに、かくれんぼサークルのサークル長・鈴木圭だろうか。 國好が少しだけ理玖に寄ったから、きっとそうなんだろうと思った。「今日は助手の佐藤さんがお休みなので、僕がご案内するようにって言われていて。一階で待っていたんですが、すれ違っちゃったみたいです。すみません」 鈴木が申し訳なさそうに頭を下げる。「俺たちも早くに来ちゃったから、気にしなくていいよ」 晴翔が自分の腕時計を眺めながら労う。 約束の時間より十分近く早いから、すれ違っても仕方がないが。 学生にそんなことまでさせなくてもいいのに、と理玖は思う。(愛人を我が物顔で使う感じも、嫌いだ。そもそも学生の本分は勉学なのに) 午後二時は三限の真っ最中だ。 かくれんぼサークルのサークル長が話に参加してくれるなら、理玖としては有難い。だが、学生が優先すべきは講義だ。「鈴木君は、三限の講義はないの? 講義を休んでまで、折笠先生に付き合う必要はないよ」 折笠の言付で講義を休んだのなら言語道断だ。 ちょっとくらいは文句を言ってやろうという気になった。「水曜の午後は、講義を入れていません。出来るだけ折笠先生のお役に立ちたいので、僕がお願いして仕事をもらっているだけなんです。向井先生とのお話にも同席するよう言われています」 照れた顔で鈴木がおずおずと答える。 折笠への恋慕の強さ
時計を確認した國好が立ち上がった。「そろそろ時間です。折笠准教授の研究室に行きましょう」 理玖の白衣の襟の裏に、栗花落が小さな盗聴器を付けた。「お話し中、俺は部屋の外で待機しています。何かあれば、突入します。向井先生や空咲さんが気が付かれた異常があれば、呼んでください」 一介の警備員が理玖たちと一緒に折笠の部屋に入り込んで話を聞くのは無理がある。妥当な方法だと思った。 第一研究棟の真後ろに第二研究棟が建っている。 古くて小さい第一研究棟の倍以上の横幅で八階まである。学生棟よりは古いらしいが、それでも第一研究棟に比べたら遥かに新しい。「難点は、学生棟を通らないと第二研究棟に行けない所だよね」 第一研究棟の通用口は、第一学生棟と繋がる一か所だけだ。その通用口を通って、第一学生棟から後ろの第二学生棟を経由し、第二研究棟に入らないと、折笠の研究室に辿り着かない。 近くに見えるのに遠い場所だ。「第一研究棟の一階の北側にある非常口から出ると、近いんですけどね」 晴翔が反対側を指さした。 第一研究棟の北側の非常口を出ると、第二研究棟の非常口が目の前にある。そこから入って階段を昇る方がずっと近い。 第一研究棟と第二研究棟の非常口は職員駐車場に隣接しているので、こっそり利用する職員も多い。その為、暗黙の内に夜間以外は開錠されている。「本来なら非常口は非常時以外、施錠されているべきだよ。通ってはいけない」 防犯の観点からも、日中の開錠はよろしくないと思う。 晴翔が理玖の顔を覗き込んだ。「あの非常口、呪いの研究室の真ん前ですもんね」 ぽそり